Apes 凡論

文章練習をオフラインでやるより、公開していこうと思い立ち始めました。なので、感想、ご指摘など遠慮なく。

文章練習3 日本の美、西洋の美について

桜の季節が訪れました。桜はやはり、いいものですね。大きく枝を広げ、花をつけるその姿はまさに荘厳で、桜の花が舞うように咲き誇るのを見ると、辛く陰鬱と過ごした冬の思いは消えていくように感じます。

桜を見て思うのはやはり、すぐに散る、その儚い短命さ。四六時中、年がら年中桜が咲き乱れていたら、桜に対する思いもここまでではなかったような気もするわけであります。花火にも言えることですが、日本文化において儚さ、短命さといった所謂「もののあはれ」しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁を基軸に発展してきたように思えます。日本人は「志半ばでの死」「非業の死」に弱い。付け加えると、完全に負けるとわかっているのに戦う話に弱い。

物語にしても、世界最強の主人公が悪をバンバンと倒していくストーリーよりも、古来日本人は平家に同情したり、赤穂浪士新撰組、神風特攻隊のストーリーに心打たれてきました。

日本人の意識として、コンセプチュアルな美の基礎は、目的を果たせない中での死、あるいは天命を全うせずに死ぬ。生に対する美よりも、死に対する美を追う習性がどこかある。桜や花火も似たなにかを感じる次第です。

一方、西洋特にアメリカでは「志半ばでの死」よりも、サクセスストーリーが専ら好まれます。アメコミヒーローにしてもそうですし、現実だとサンフランシスコのゴールドラッシュや、実業家の成功談などでしょうか。歴史が浅く、また成功を夢見てアメリカの地を踏んだ移民たちの国ですので、当然と言えば当然なんでしょうか。

西洋のヨーロッパ側でもやはり、生への美が重んじられます。シェイクスピアの悲劇などは「志半ばでの死」はありますが、裏切りや謀略による怒りを伴った悲劇として、広く人気を博している気がします。

庭や建築物に目を向けても同様に、西洋文化ではこの「朽ちていくこと」「消えていくこと」に美学を見出しているように感じません。日本的な自然と共存といった考え方はなく、左右対称な建物や庭などから、どちらかといえば、西洋文化においてのコンセプチュアルな美とは人の手によって支配されるべき成功と繁栄。つまりは生における美の概念という印象を受けます。

 

この日本と西洋文化における差は、地震津波、火事といった災害的要因の有無と、資源の差が大きく起因していると思われます。

日本は災害大国なのはご存知のことでしょう。インフラと災害対策技術が成長した現代と比べ、昔の日本は間違いなく、災害の度に今とは比較にならないほどのダメージを受けてきたのは想像しやすい。建てたと思えば地震で崩れ、川の氾濫で流され、石材が乏しい上に、気候に適していないので、それじゃあと木材を用いれば、頻繁に焼失しと何度も失ってきた過去は資料を見れば明らかです。その繰り返される歴史と仏教思想の影響で、美しいモノはいずれ朽ちる。自然を支配するのではなく、共に生き、そして朽ちる。そういった観念が醸成されたのではないでしょうか。

西洋はヨーロッパではそのような、災害の想定をさほど気にする必要はありません。

また、大陸地域であるが故、侵略し、侵略されの歴史を繰り返しています。そのたびに過去の権力者達は、自身の威光と権威性を世に認めさせるために、神からの授かった力だと説得し、民を支配するため、その手段と贅を尽くしたい思いが相まって、壮大な建築物や、庭をつくってきた歴史があるのではと考察します。

その繁栄と力への思いが、自然への支配と永遠性を求めたのでしょう。

ダイヤモンドを見るたびに、桜との対称性を感じます。「ダイヤモンドは永遠」そんなキャッチフレーズがありますが、キラキラと妖艶な光を反射させ、朽ちることないダイヤモンドは西洋文化が追い求めたモノの最終目標に思えます。

儚く消える桜の美しさ、永遠に輝くダイヤモンド。どちらも魅力的ではありますが、日本人としてのアイデンティティーを感じる瞬間はやはり、桜に思いが惹かれることです。

物質なら甲乙つけがたい話ですが、人となるとそうではない。生への美を追いすぎるのは美しくないと思います。美魔女のようにかつての美にいくら執着しても時の流れには逆らえず、おばさんになっていくのは明らかなように、かつての栄光や力に取り憑かれたその姿に、西洋的なコンセプチュアルな美も、日本的な概念も見出せません。

人はやはり自然には逆らえないのです。西洋文化の美の支配も結局のところ、物質を支配できただけに過ぎず、その欲求はやはり権力者たちの生への美に執着した結果がもたらした歴史なのです。最近の日本は、欧米化の波をもろに受けて、日本の文化的アプローチを精神面で行う人が減った気がします。私自身も体現できているとは思いません。

そこを鑑みると、日本の再興は、日本文化の再考から始まる気もしなくはない。

グダグダと愛国談議に花を咲かせてしまいましたが、私は西洋文化ももちろん好みますよ。

しかし、精神面においては日本文化のアプローチが日本人の私の胸に響くのでした。