Apes 凡論

文章練習をオフラインでやるより、公開していこうと思い立ち始めました。なので、感想、ご指摘など遠慮なく。

文章練習5 散歩の話

うららかな春の太陽が、無味乾燥なアスファルトを照らしつけ、陰鬱な冬とは打って変わって、町の様相もいくらか陽気に変わった気がします。

不要不急の外出は避けるようにと注意喚起がなされるこの頃ですが、私は濃厚接触をする相手もいなければ、相変わらずお金もないから、商業施設のような密室空間に足を運ぶこともまあ、ありません。しかし、暇なもんですから、桜でも眺めようと独り散歩に出かけました。いくらかのストレスを散歩の道中に、まるでヘンゼルとグレーテルのパンくずのように捨ててやろうといった算段です。

 

家を出てしばらく歩くと何かに気が付く。

スマホを忘れた。

まぁ、忘れたからといって冷や汗をかき、手が震えるほどスマホ依存ではありませんが。スマホは便利なものですから、つい度々見てしまいます。電車に乗れば、私を含めほとんどの人がスマホを見ています。あれ、スマホがなかった時代の人がタイムスリップして、その様を目撃したらと想像すると、驚くを超え、恐ろしそうですね。

スマホを忘れたからといって、取りに戻るのも面倒なので、散歩続行といきました。

 

京福電鉄の通称「嵐電車折駅を少し歩くと、JR嵯峨嵐山駅まで一直線に続く「昭和通り」があります。その名の理由は分かりませんが、都市開発が頻繁に起きる都市部とは打って変わって、このあたりは住宅街と個人商店が多く立ち並ぶ地域ですので、どこか昭和な香りがまだ残る。その昭和通りで昭和の残り香を感じ取りながら、嵐山へと向かうのでした。

 

ただ意味もなくぶらぶらと歩きながら、あちらへこちらへと目を向ける。咲き乱れた桜、スーパー帰りのおばさんが乗る自転車の前かごから、今にも落ちそうな長ネギ。子供たちの嬌声と共に、小さな影が私のひざ下あたりを通り過ぎる。春の風が背中を優しく押してくれ、一歩一歩を陽気に、弾むように歩かせてくれる。視線を上にあげると、何羽かの小鳥たちが電線の上で羽を休めて、井戸端会議を開いている。今は閉店したタバコ屋の少し錆びた看板に書かれた文字は、時代を感じるフォントをしている。この看板がまだ新しかった時、この通りの風景はどんな様子であったのだろうか。

そうこうしているうちに、川の流れる音と共に、山紫水明、松の木の奥から覗く明媚な嵐山と、川に架かる渡月橋の美しいこと。

対岸に位置する亀山公園は、川を眺めるように桜並木が続いており、この時期にしか感じられない嵐山の格別の春容を私に届けてくれた。

スマホを忘れ、腕時計もつけていませんので、何分散歩をしていたかわかりませんが、私にとってその散歩の時間は日常から切り離された、豊かな時間でありました。

 

スマホのサイズなんて精々文庫本程度の大きさで、いかにその中に世界へとつながるネットワークがあろうとも、現実世界の美しさと対比するには余りにもしょぼい。

「書を捨てよ、町へでよう」なんて言葉がありますが、「現代はスマホを置いて、外を観よ。」そう感じる。

この不要不急の散歩は特別ではないはずの日常生活で体験した、特別な時間でした。