Apes 凡論

文章練習をオフラインでやるより、公開していこうと思い立ち始めました。なので、感想、ご指摘など遠慮なく。

文章練習1 小学生の夏の思い出

思い返せば、幼少期からインドアな子供だった。図書館に通いつめ本を読み漁り、飽きたかと思えば今度は自転車を走らせTUTAYAに向かい、映画を1本借りて家で鑑賞。外に出るのは本かDVDを借りるか、あるいは本を読みにカフェへ向かう以外にあまり外には出なかった。

だから、太陽の光を一身に浴びる機会は乏しく、色白な肌が悩みだった。この悩みは小学生の時で、克服のために行く当てもないのに、ただ自転車に乗り何処かへ行く。とにかく走るという習慣がついた。ただ闇雲に自転車に乗り、何度も角を右か、あるいは左へ曲がるのかと選択を迫られるのがなんだか嫌だったのと、何度も適当に曲がって道を迷うのをビビった僕は、近所の嵐山から始まる、桂川沿いに造られた「自転車道」と呼ばれる道をよく走った。曲がることを要求されない小学生の僕にとってお気に入りの道だった。

夏の光にギラギラと照らされて、濃い深々とした緑の葉を輝かせながら、その枝大きく広げる木々をくぐり抜け、どこか必ずこの先にあるであろう太平洋に向かって流れゆく、青く悠々と流れる川と並走し、視界のひらけた真っ直ぐどこまでも続いていきそうなその道と一体となり自転車をぐんぐんと前に進めたのを鮮明に覚えている。「日焼をしたい」がその道を走る理由であったから、午前は太陽に向かいひた走り、12時に昼食を取り、午後は太陽と共に折り返し帰路につく。今思えば、川辺に寝そべり日光浴でもすればいいのになんて思わないこともないが、あの頃は自転車に乗ってひた走る。それが爽快でたまらなかった。

少しの不安はあった。「この道はどこまで続くのだろうか」「家路につけるのか」

それは小学生の僕にとって、ちょっとした冒険の良質なスパイスだった。あの冒険心を忘れたくない。大人になるにつれて冒険心は邪魔者扱いされる。将来にたいするリスクヘッジができる人間こそが大人だと感じてくる。それは錯覚なんだと思いたい。愚直に生きる。いつまでも、あの頃の、ちいさな冒険心を胸に抱いた子供として。